TRAMPを使ってみる
Mule2.3@19.34 ではそのままでは動かないようだ。Emacs 20 以上向けに開発していて、Emacs 20 with mule 用のコードが邪魔しているみたいだ。(Emacs 19 用のコードがらしきものが見受けられるので、素の Emacs 19 なら動くかも)
1時間ばかりいじってみたが、動かせませんでした。(lisp は余りわかっていない上に、Mule の coding-system の知識もないし)
2001年8月28日火曜日
2001年8月25日土曜日
ようやく NetBSD のバージョンアップをする。
ADSL 入って、ほとんど常時接続なのに、穴が空いたままの OSじゃまずい、と思ったからです。でもこれ、実は杞憂なんですよね、ルーターで外からのアクセスは全部弾くようになっているはずですから。でも、まだ、 telnetd に穴が空いているんだよな。
2001年8月18日土曜日
DIONのwebサーバー、狭過ぎ
5MB だもんなぁ。ng のアーカイブをいくつか置いたらもう quota に引っかかった。このさい、SRSさくらインターネットのさくらウェブでも契約するかな。 CGI も使えるし。(hns をフル活用できるぞ!)
ようやく ADSL の設定終る。
うまく動いている。よしよし。
しかし、無線LAN のアクセスポイントにはまいった。物が少ないし、あっても Windows からしか設定できなかったりするし。素直に MELCO の奴でも買っておくべきだったかなあ。
しかし、無線LAN のアクセスポイントにはまいった。物が少ないし、あっても Windows からしか設定できなかったりするし。素直に MELCO の奴でも買っておくべきだったかなあ。
2001年8月17日金曜日
Ng の Unicode 対応が大体完成した。
まだ、autodetect は仕込んでないけど、入出力とファイル I/O は大丈夫。
なぜ、こんなとちくるった?ことをしたかというと、EPOC32サポートの下ごしらえのためです。UniFEP による Psion の日本語環境では UTF-8 で入出力しないかんのです。
なぜ、こんなとちくるった?ことをしたかというと、EPOC32サポートの下ごしらえのためです。UniFEP による Psion の日本語環境では UTF-8 で入出力しないかんのです。
でも iconv で苦労した。
何が苦労したかって、iconv_open() の引数の順序をずっと間違えていたのだ。しかし、iconv()の引数の順序が src → dst なのに、iconv_open() だとto_charset ← from_charset になっているのはFONT color red 罠だと思う。2001年8月8日水曜日
Soft update(Softdep)を有効にする。
fj.os.bsd.freebsd のスレッドを見て、今まで Soft Update / Softdepを使う設定になっていなかった事に気付く。うーん、道理で rm -rf が遅いはずだわ。
2001年8月7日火曜日
DION から ADSL モデムが届く。
でも、説明書は無し。繋いだ様子からすると、まだ電話局側では工事っていないみたい。(WAN ランプが点滅状態)
しかし、この ADSL モデム、送り主がACCAになってるぞ? DION の Flets でない ADSL って ACCA なのか?なんでどこにもかいていないんだろう。
しかし、この ADSL モデム、送り主がACCAになってるぞ? DION の Flets でない ADSL って ACCA なのか?なんでどこにもかいていないんだろう。
2001年8月6日月曜日
Ng の bug 報告から、GNU Emacs のバージョン間の目に見える違いを知る。
Emacs 19 では行頭の mark は特別扱いされるけど、Emacs 20 では特別扱いされない。(行頭で mark をして、改行を入力して、C-x C-x をすると、良くわかります)
Ng ではどうしよう。Emacs 20 の方が実装簡単だから、そっちにしようかな。
Ng ではどうしよう。Emacs 20 の方が実装簡単だから、そっちにしようかな。
2001年8月5日日曜日
夕方、自転車で若狭湾まで行こうと突然思い付く。
24時間掛けて、往復。我ながら無茶。多分、満月のせいでしょう。
とりあえず、でかい懐中電燈をけったに括り付けて出発したけど、芹生峠を越すところで惨敗。
そのうち絶対やってやる。
とりあえず、でかい懐中電燈をけったに括り付けて出発したけど、芹生峠を越すところで惨敗。
そのうち絶対やってやる。
2001年8月4日土曜日
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